歴史・産地

【パキスタン緞通の歴史】

 カーペットの歴史は一説によると、紀元前まで遡ることができるとのことです。シルクロードに生活する騎馬遊牧民が、天幕の床に敷くために作った織物が始まりとのことです。カーペットが今日のように高い芸術性を有するようになったのは、西アジア全体がイスラム化した7世紀以降のことで、偶像崇拝を否定したイスラムの世界では、絵画や彫刻などが発達しなかったかわりに織物、陶器などの分野が大いに発展を遂げました。特に高級なカーペットは富と権力の象徴として、腕の良い職人は宮廷の保護の下で大切にされました。遊牧民族の生活の中から生まれたカーペットは、イスラム世界で開花し、イスラム圏の拡大によって欧州やアジアに伝わり、世界の染織文化史上に極めて重要な役割を果たしたと言えます。 パキスタン緞通は、ムガール王朝のアクバル大帝(1556~1605)が、ペルシャのイスファハンから織匠を招いて王宮用の敷物をラホールの宮廷で織らせたのが、当地に於けるカーペット生産の始まりと言われています。織り方は、ペルシャカーペットに学んだペルシャ結びと、アフガンカーペットに学んだトルコ結びの2通りがあり、デザインもいわゆるパキスタン独特と言われる物は少なく、アフガン、コーカサスのデザインをコピーして生産されています。近年は、ペルシャ、トルコなどの超高級品と一般普及品の中国カーペットとの中間の質、値段で市場を広げ、市民権を各地で得ています。 


【パキスタン緞通の産地】

 パキスタン緞通は、主として同国北部のラホール市(LAHORE)を中心としたパンジャブ州で生産されており、その他南部のカラチ市(KARACHI=同国一番の大都市)周辺でも織られておりますが、年々パンジャブ州での生産が増えているようです。 ラホール周辺での生産が全体の約80%、カラチ周辺での生産が全体の約17%、イスラマバード・ムルタン地方の生産が全体の約3%という事です。(同国カーペット輸入組合の話) 尚、日本市場向けには、金額ベースで1200万米ドル~2000万米ドル(運賃・保険料込み)相当の手織りカーペットが輸出されているそうで、同国にとっては綿糸、穀物に次いでの重要輸出産品となっています。

立英カーペット株式会社

当社は、設立以来49年手織り絨毯の輸入卸を行っております